苦しい顔よりも笑顔を増やしたい。感動はさせるものじゃない。

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※2019年5月24日に書いたものです※

 

多くの学校ではもうすぐ運動会ですね。
今年度は、出ないことに決めました。

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少しずつ学校へ行くようになって、連休明けも少しずつ学校へ行って。

そのうえ運動会、1種目だけ出ると言いだして…「え?本当に大丈夫なの?」と、私は頭の中で少々混乱しました。

あまりしつこく「大丈夫?」と聞いても、逆にKが不安な気持ちになってしまうと思って、「そっか、うんわかったよ」って答えたけど。

内心は「出なくてもいいんじゃない?」って思ってました。
Kが前向きになれているのなら、私はそのサポートをしよう。

そう思いながらも、どこかK自身が、私も含めた周りの人たちに対して忖度していないだろうかって不安でした。でも心配しすぎなのかな…って。

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運動会のプログラムを持って帰ってきて、一緒に見ました。

Kは「ふーん」という感じだったけど、私はモヤモヤしてしまって。

「保護者や先生、地域の方々を感動させましょう!」ってメイン種目のプリントに書かれていて。

口には出さなかったけど、大人のためになの?それっていらなくない?って思ってしまって。
運動会ってなんのためにあるんだろう?
誰のためのものなんだろう?

子供のためではなくなっているなって、学校のいろんな行事が、大人の感動の消費のためになってるって…私自身が思うようになってしまっていて。

その気持ちはKが学校へ行けなくなってから事あるごとに感じています。
Kがどう思っているかはわからないけど。

でも子供が「出る」と言っている以上、子供に私のこの「おかしい」という気持ちを伝えることはきっと、子供をコントロールすることになる。

Kは言葉に左右されやすいからなおさらで…発言は慎重でなければならない。

Kが出ようと思っているのなら、気持ちは押し殺してサポートしようって心に決めました。

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それから少しして、学校へ行く日。
その日はちょうど、Kの学年は運動会の練習がある時間でした。

だから念のため、「いつもの時間割は〇〇だけど、今日は運動会の練習だからね」って伝えました。
すると「え?〇〇じゃないの?」って戸惑った様子で。

「練習、どうする?」って聞いたら「いや、出ない」って。
「ほかの学年の子と、授業の方がいいの?」って聞いたら「うん」と。(Kは支援学級に在籍しています)

あれ?と思って、「運動会、本当に出るの?」って聞いたら何も答えなくて。
「きっとママがここで答えを出したら、Kはきっとそれに従う。でもそれはママの意思になる。だからKが自分で出るか出ないか、決めた方がいいと思うの。
答えはどっちでもいいんだから、自分の気持ちを隠さずに言っていいんだよ」って伝えました。

答えは「出ない」でした。

自分が決断すること、その決断でいいのかどうか不安なこと…だから自分で答えを出すことができなかったんだろうと思います。

でも、答えを出せた。気持ちを伝えられた。
本当は出るのは辛いって思っていたんだろうな。でもやっぱり、言えなかったんだ。

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私はKの気持ちを尊重したいと、先生に伝えました。

先生はとても残念がっていたし、見学だけでも来てくれるといいなって言うけど…きっと見に行くこともしないと思います。

今、少しずつでも学校へ行こうとしていること。

それだけで十分じゃないかな。
ハードルをどんどん上げていくことは、したくないんです。

少しでも行けていることで、本人も少し安心しているような感じもします。
以前に比べて、顔が明るくなったから。

先生に自分から話しかけたりして…先生に対して信頼をなくしてから、そういうことはほとんどなかったから。

今日なんて「明日の〇〇は何をするんですか?」って自分から先生に聞いてた。
でも反面、ふとした時に不安症状というか。

「このままでいいのだろうか」って気持ちが前面に出てきて、「自分は生きている価値がない」とか言って泣いたり。

子供の中でも、色々葛藤しているんだろうなって、見ていて思います。

どんなに焦らなくていいと言っても、自分は周りと違うということがきっと不安なんだろうなって。

その不安を取り除きたいのに、私自身も不安で。
不安は子供に伝わるのに、不安で。

今はとにかく、笑顔で過ごせることを第一に考えていきたいなと思います。
子供に忖度させないこと、自分が忖度しないことが今の目標です。

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学校へ行った日はいつも迎えに行くのですが、たまたま高学年の子供たちが運動会の練習をしていました。

息子が出ようとしていた種目の練習を。
命令口調の先生、厳しい指導、暑い中での練習。
その競技は全員裸足で行うと決まっていて、みんな裸足で、みんな体操着が砂まみれで。

そういえば、プリントに「砂がついてもほろってはいけない」って書いてたなって思い出しました。
裸足でやる理由はきっと、簡単な組体操があることだと思う。
靴で背中に乗ったりするのが痛いというのもあるんだろうな。

そんな光景が一気に目に入ってきて…一瞬で苦しくなってしまって。

もちろん、がんばっていることはすごい。
純粋にすごいと思うし、みんなでがんばって達成すること、みんなで一つの物を作り上げることが自信に繋がる子もたくさんいる。

でも、じゃあ辛い子が1人もいないわけなんてなくて。
しばらく見ていたんだけど、たとえ辛くても「辛い」って言えない雰囲気が出来上がってて。

これは本当に子供のためになるのかな?
感動させましょうってなに?ってやっぱりモヤモヤして。

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授業が終わって、全身砂まみれで裸足の子供たちがいっせいに水飲み場で足を洗ったり、汚れたタオルを洗ったりしていて。それを見ても苦しくて。

ふと目をそらすと、グラウンドでまだ練習している子がいて…あ、うまくできなかったのかなって…。周りに先生がたくさんいて。

練習が終わって、ある先生が1人に「○○さんのこと頼むね!頼りにしてるね!」って言ってて。
その子がいなくなってから、もう1人の…たぶんできなかった子に、「大丈夫だからね」って言ってて。

なんだろう、どちらの子にとってもプレッシャーだろうなぁって思ってしまって。
「運動会なんていらないよー!」って心の中で叫んでました。

「出たくないから出ない」じゃなくて、「出るのが辛い」。
普段少しでも学校へ行けていることは「その時間なら行ける」なんです。

これは思ってはいけないことなのかもしれないけど、Kが出ないと決断したことに、内心ほっとしています。

Kは今日も笑顔です。

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授業時間が足りなくなるから運動会は時短で午前中だけってところも増えてきています。
それはすごくいいと思う。でもそれでもやらなきゃならない理由ってなんだろう?

練習風景を見ていて、心がモヤモヤして、なんだか苦しくて。
これだけ不登校の子供が増えて、先生の業務が増えて。

学校行事のあり方を見直すときじゃないかなって、私は思います。

百歩譲って、もっと子供たちが辛い練習に耐えなくて済む、先生も保護者も含めてみんなが楽しく笑顔になれる運動会であってほしい。

大人が感動するために子供に辛い思いをさせないでほしい。耐えることを美徳にしてはいけない。

普段からこういうことを書いていると、時には「直接学校に言えばいいのに」とか「そんなことしても何も変わらない」とか言われることもあります。

でも、学校に言ったところでそう変えられるものでもなくて。
これはKが行けなくなってからイヤでも多く学校と関わってきたからわかることで。

どうせ変わらないと諦めることは、子供を苦しめるのと同じだって私は思っています。自分の子供さえ良ければいいなんて思えない。

一人一人の声を集めていけば、大きくなります。
大きくなって世間的な問題提起のきっかけになって変わっていくと、私は信じています。

だからこれからも書いていくつもりです。

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