給食の完食指導に思う、子供が持つ価値観への影響~強要は虐待では?

学校・不登校

 

今日は姉と2時間くらい電話で長話。

姉とはそこまで遠い距離ではないけど、お互いの都合もあってなかなか会えません。

本当は毎日でも会いたいです。

電話をするとほとんどたわいもない話や愚痴だったり。

でも珍しく姉がとても悩んでいる様子で、私に打ち明けてくれました。

 

偏食の原因は好き嫌いとは限らない

姉が悩んでいるのは、子供のことです。

私の甥っ子は息子と同い年。4年生になりました。

その甥っ子は、息子と同じように偏食です。

 

偏食と聞くと、

「親が好き嫌いなく指導しないからだ」
「親の食生活は子供に影響する」
「嫌いなものも食べられるように工夫しないからだ」

とか・・・だいたい親や家庭の責任だと思われています。

 

ただの好き嫌いなら、確かにそういう場合もあるかもしれません。

でも、どんなに親が工夫しても食生活に気を付けても、食べられない子がいるんです。

 

食に偏りがない方がいいに決まってます。それもわかります。

ただ、それが好き嫌いとは違う次元の話だとしたら。

それでも「好き嫌いなく食べなさい」と言えるのでしょうか。

 

偏食が成長に影響しているならば、対策をとらなければならないのかもしれません。

でもすくすくと成長しているなら、無理強いしてまで食べさせなければならないのでしょうか?

 

 

小学校での給食指導のこと~完食は絶対だという先生

甥っ子の担任は「好き嫌いなく、盛られたものは全部食べろ」と言います。

偏食の子供にとって、そういった学校での給食指導がとても苦痛です。

 

しかも、完食するまで先生は待っています。必然的にほかの子供たちも待つことになります。

「そんなのちょっと頑張れば食べられる」と毎日のようにまくしたて、周りの子供はそれを見て「早く食べろ」と言う。

 

繊細な甥っ子はみんなを待たせていると思うだけでなく、食べなければという辛さを我慢して、無理やり食べています。

 

これは甥っ子が実際に言っていたことですが、どうしても食べられなくて、丸呑みして吐いてしまうこともあると。

学校は毎日の給食が憂うつだ、と。

メニューによってもそうだけど、こうして完食を強要されることがまた、憂うつになる原因になります。

 

姉は一度、給食の指導について先生に伝えたことがありました。

でも先生から返ってきた言葉はこう。

「家庭で嫌いなものも食べさせているのか」
「家庭で食材やレパートリーを増やして指導しないから、給食が食べられないのではないか」

 

偏食は家庭の食事指導や食生活が原因ではないかと言いたいのでしょう。

 

姉はこう答えています。

「給食はなぜ我慢して、無理をしてまで全部食べなければならないのか」

「学校で頑張って食べているのに、家庭でもそんな風に指導すると子供が辛いだけだからするつもりはない」

「嫌いなものを食べることが偉くて、食べないのはダメな子なのか」

 

私も姉の意見に同感です。

 

先生はそれ以降、親である姉には給食について言ってこなくなったそうです。

でも甥っ子本人には変わらず完食しろと指導しています。

 

甥っ子はそのことを話すからまだいいですが、なかには親に自分の気持ちを話さない子だっているわけで。

先生はきっと、甥っ子が言わない限りは親に伝わることもない、というくらいに思っているに違いありません。

 

そんな給食の完食強要が、1年以上ずっと続いています。

 

偏食がただの好き嫌いが原因ではない場合があるということを、親はもちろん、学校の先生方は知っておくべきです。

そうでなければ、甥っ子のように苦しい子供が増えるだけ。

 

みんながみんな同じ味覚ではないし、同じ感覚でもありません。

ましてや家族だから好みも同じとは限りません。

 

感覚過敏やこだわりの強い子、人一倍敏感なHSCの子など、好き嫌いが原因ではないのに食べられない子供たちに我慢をさせ、つらい思いをさせてまで食べるのを強要することは、食育ではありません。

そういった特性は、我慢すれば克服できるものではないのです。

我慢を強いることを日常にしてはならないのです。

 

食事は本来楽しむもの。

食べるのを楽しむことでもありますが、楽しく会話しながら食べるのもまた楽しいことではないのでしょうか。

 

食事が楽しくない、苦しいものでいいはずがありません。

よくある無言給食も、私はいいとは思いません。

 

「好き嫌いなく食べよう」に対する違和感

確かに、食べられる食材や調理方法が多ければ、食事のレパートリーも増えるし外食もたくさんできるかもしれません。

 

「好き嫌いをするな」と小さいころから私も言われてきました。

「好き嫌いすると大きくなれないよ」というのは親であれば一度は言ってしまう言葉。私も言ったことがあります。

 

私自身、息子の偏食に悩んだ時期がありました。

どうにかして野菜を食べさせようと、わからないように料理に混ぜたりもしました。

 

子供の味覚は何歳までで決まると聞いて必死になったけど、でも無理をさせても、ダメなものはダメでした。

息子が感覚過敏だと気づいたのは、幼稚園のころでした。

 

それからは無理強いしなくなりました。

すると今まで憂うつだった食事の時間が、お互いに楽しい時間にかわりました。

 

楽しく食事をするなかで、子供が自然と苦手なものを少しずつ食べるようになってきました。

今でも食べられる野菜は数種類ですが、少しずつ増えてきています。

さらには食べたことのないメニューにチャレンジするようにもなってきています。

 

食育とは、本来こういうことではないでしょうか。

食べる楽しみではなく食育という言葉だけが独り歩きしていると思うのは、こういう経験をしてきたからなのかもしれません。

 

我慢させたり無理をさせてでも食べさせることが食育や食事指導であってはならない。私はそう思っています。

 

どうしても、どう頑張っても食べられない子もいるんです。

見極めはすごく難しいのかもしれないけど、感覚過敏などによって食べられない人がいることを知っていれば、指導法を考え直すきっかけにはならないでしょうか。

 

「作ってくれる人に感謝しなさい」と給食の残菜をなくすことも学級のきまりみたいに言われることですが、これも苦痛な子がいます。

 

みんな平等に盛り付けるのではなく、自分で食べられる量を盛り付ける、たくさん食べたい子が食べられない子の分も食べるなどしていけばいいのではないでしょうか。

 

 

大人の価値観や行動が良くも悪くも子供に影響する

頑張って無理して食べることが偉いとか、食べないからダメとか、そういう価値観を周りの大人が植え付けてしまえば、子供たちは当然食べない子供を責めるようになります。

 

大人が言っているから、言ってもいいだろう。
大人がこうしているから、自分もこうしていいんだと。

 

大人が子供のできないことを受け入れず否定してしまうことが、子供同士の関わりに影響を及ぼしていないでしょうか。

 

スクールカーストは大人の影響も少なからずあると思います。

私は今、話を聞いている限りですが甥っ子のクラスの子供たちがそうなっていることをすごく懸念しています。

そこからいじめにつながるかもしれないと。

 

自分が親になるまでずっと当たり前だとされてきたことが、子育てしてきて疑問に思うことが多くなりました。

 

小さいころに親から言われてきたことは、一種のマインドコントロールだったのかもしれません。

 

それが当たり前なんだよって。

子供は純粋であればあるほど大人の言うことを信じるから。

だからきっと大人の言動や行動は、子供はきちんと見ていて覚えています。

 

刷り込まれた常識に、当たり前に疑問を持てる大人でいたい。

当たり前だから仕方ないで終わらせる大人ではいたくありません。

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