当たり前だったことを「やめる」「変える」ってものすごく大変。だからこそ少しずつ。

この記事は約5分で読めます。

※2019年11月19日に書いたものです※

Kの学芸会が近づいてきて、内心毎日ハラハラドキドキしています。
学芸会の前なのにこんなに落ち着いているのなんて、今までなかったから。

以前は本番が近づくにつれ、だんだんイライラして不機嫌になることが多くなったり、疲れた顔をしていて。

でも、今年はちがう。何かちがう。

大人は子供が自分で考える力を奪っていないか

私は前から、さまざまな学校行事や校則に対して「なんのためにあるんだろう?必要?」って思っていました。
その違和感が強くなったのは、Tが中学生のころ。

転勤族だった我が家は何度も転校しています。
その中で伝統や決まりを厳しく守る、守らなきゃいけない…そんな雰囲気の学校へ転校したことがあって。
そのときから、「おかしいな」と思うようになっていました。

細かい決まりはもちろん、宿題の出し方とか行事とか。
ありとあらゆるところで疑問があった。でもそのときは、結果的に言えませんでした。

おかしいことをおかしいと言えない雰囲気がありました。
今だから言えることなのですが。

周りの子よりもだいぶ落ち着いていたTが、先生から「みんな幼稚で合わないよね、ガマンさせて申し訳ない」って言われたのをよく覚えています。

その先生は、すごく一生懸命で。
私や娘はいい先生だなって思ってたけど、でもほかの生徒に伝わらなくて、空振りで。
簡単にいうとナメられていた。

あくまで私見ですが、荒れている学校ほど校則が厳しい気がします。
でも厳しくすることで余計に子供…特に思春期の子供は反発したくなるんじゃないのかな。

何か問題が起こるとすぐ罰とかで縛りつけるけど、果たしてそれって本当にいいのかな?
考える機会を、お互いになくしてしまっていないだろうかって、思ったりしてました。

最低限の決まりはもちろん必要だと思います。
だけど、なんでもかんでもルールを細かく決めてしまうことで、最初から諦める子供を増やしていないかなって。

大人の言うことにしたがっていれば、大人が敷いたレールをはみ出ずに進んでいればいい。
そんなふうに、自分の意思を持つことや行動すること、考えることを諦めてしまっている子が少なくないと思うんです。

教員の友人が言っていた言葉が、今でもずっと心に残っています。

「今の中学生は、一言で言うと”無気力”」

そうさせてしまったのはいろんな側面があると思うけど、多くはずっと、当たり前だった部分じゃないかなと思うんです。

部活動が強制だったり、これでもかという厳しい校則だったり。

子供にとっての学校が、忍耐力を身につける場所みたいになっているのが、なんだかおかしいなって。
「学校が楽しくないのが当たり前」になっていること自体、本当はおかしいはずなのに。

「当たり前」を変えることは難しい。でも少しずつ変えることはできると思う

ちょっと話がずれてしまったけど、ずっと当たり前で続けてきたことを突然やめるとか変えるとかって、すごく難しいなって。
それがわかるからこそ、「少しずつ」ってできないのかなって思います。

0か100かじゃなくて、0から10、10から20みたいなこと。

例えば運動会だって、本来の目的は子供が集団の中で何かを達成したり、ひとつの目標に向かってがんばることじゃないかって私は思っていて。

でもいつの頃からか、子供の晴れ舞台というよりは、大人を感動させるための行事になっている気がして。
もちろん、それだけじゃないのですが。

練習で厳しく指導したり、高度なことを子供に求めたり。

どんどん子供が主体ではなくなっている気がして。
もっとゆるくて、みんなが楽しめる行事にならないかなって思うんです。

子供が競うことを、大人が「おせーぞ!」とか煽ってるのを何度も見かけたことがあります。
でもなんかそれは違うなって。
そもそも競わなきゃならないのはなんで?って思ってしまいます。

いろんな学校行事が、大人の感動消費のために使われている気がして。
感動ポルノのために、子供が辛い思いをするのは見たくなくて。

そんな行事なんてなくていいじゃんって思ったこともありました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

でも「だからなくそうよ!」って言うのもまたちがうなぁと今思っていて。
子供がそこにいないから。大人がそう思うだけだから。

個人的には正直いらないなって思う学校行事はたくさんあるけど、じゃあ子供はどう思っているのか。
子供が必要だと思っているのに、なくしてしまうのはちがうんですよね。

もうすぐある学芸会も、私個人では必要?とは思う。思うけど。

子供の中で、自分のがんばった姿を見て欲しいっていう気持ちがあったとしたら、それを踏みにじることはしちゃいけないよなって。
たぶん、Kが今そういう気持ちでいると思うんですよね。

別に親を喜ばせるためならがんばる必要はないとは言っているけど、それでも喜んで欲しいと思っていたら。
自分のがんばっている姿を見て欲しいと思っていたら。

自己肯定感が少しずつ上向いてきたことで、がんばりたい気持ちも芽生えてきて、それが自信につながるのかもしれない。

だから疑問はあるけど、親の判断で出ないことを強制してしまうのもまた、ちがうんだと思います。

今年は出なかった運動会のときもすごく悩んだけど、子供の意思を尊重するってこういうことかなって。

ただそれが、苦しみから生まれているものだったら、それは止めなきゃならないと思う。

学校行事は辛いと思っている子も少なくない。
でも辛い子がいるからやめようというのも、がんばればなんとかなるって強制するのもおかしい。

そのたびに立ち止まって考えることが必要なんだと思う。

なくすかなくさないかとか、そういう問題ではなくて、行事の意味を改めて見直して、少しずつ変えていく。
それでやめるものはやめたり、減らしたりすることが必要なんじゃないかなぁって思います。

例えば「大人が感動するから組体操はやめない」というのはもってのほかだし、
「ちがう面から同じ目的で、安全にできるものは何か」というのを考えたり、「そもそも必要なのか」って、大人だけで決めようとするんじゃなくて、子供を含めて考えていけたらいいなって。

子供の意見もちゃんと聞いて、決めていけたらなって。
学校は子供が主体のはず。でもそうなっていない部分もある。

だからこそ子供を守ることはもちろんですが、大人と子供が対等に話せる環境は不可欠なんだと思います。
これもTが学校のことで悩まなければ、Kが不登校にならなければ気づけなかったことなのかもしれないな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました