学校は行けなくてもいい、行かなくてもいい。少しだけど、やっと吹っ切れた。

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※2018年9月13日に書いたものです※

 

先週から、不登校の子供を受け入れてくれる放課後デイに通い始めました。

不登校の子供に合わせて取り組んでくれる、通常のデイとは少しちがうところです。

週に1度のお出かけ程度…子供が私以外の人と関わる機会、学校に行けなくても大丈夫だと思える、楽しい経験が少しでもできればと思って。

ずっと、迷っていました。
Kにはあまり行きたくないって言われてたから。
でも、医師に言われた言葉がきっかけで、決心がつきました。

「Kくんに聞けば、当然行きたくないって言うと思う。でもね、学校じゃないところに行くという経験自体が大事。

もし行ってみて、やっぱりここに行くのも辛いなって思ったらやめればいいし、もっと気楽に考えて、背中を押してみたらどうかな?」

どうしても、一度深い傷を負った子供にはもう二度と辛い思いはしてほしくないなって思ってしまって。
守りに入ってしまっていました。

子供を守ることはとても大事だけど、背中を押すこともまた、同じくらい大事だってことを忘れていました。
やっと、動きだすことができました。

ちょっと遠いところで通うのもラクじゃないけど、電車に乗ってバスに乗って…ホントちょっとしたお出かけ気分で続けて行けたらと思っています。

たまに寄り道したりして。楽しめたら。

 

この間、担任の先生と面談してきました。

毎日行くのは本人も自分も辛いこと、毎日1時間学校へ来て、勉強するわけでもなく、行く意味がわからない。

このままでいいのかな?と。
伝えたいことは伝えられたと思います。

学校へ行く日を、減らすことにしました。
減らして、それでもなお行きたくないときは休むことも伝えました。

先生は「ムリして来なくていいんだよ、来たいときだけで。まぁ、先生は来て欲しいけどね」って…、一言いらなかったけど、私は動じませんでした。

不登校の子供が学級にいると、きっと先生も言われるんだと思います。
でもそれは、「学校に行けなくなった子を、また学校に戻す」っていう考えが学校で根強いからで。

行けないなら家で学べるようにってシステムがないからで。
だから子供も親も不安、先生も解決しなくてはとなるのでしょう。

「学校は行けるなら行った方がいい」は確かにそうですが、子供によっては余計に不安に思ってしまうかもしれません。

「じゃあ行けない自分はダメな子なのかな」って…言葉でどれだけ安心させようとしても、言葉だけでは安心できないなって最近思います。

言葉かけもすごく大事だし、言葉で救われる子供もいることも確かです。
でも言葉だけでなく具体的な手立ても必要で、今はその手立ての部分が必須の段階だと思います。

それが確立されなければ、学校が辛い子供は安心できないじゃないかなぁと。
学校が辛い子供をこれ以上増やさないためにどうするべきかを、考えなければならないんだと。

学校に行けなくなった子供がたとえ学校に戻りたいと思っていても、事実、戻るのってすごく勇気がいるし簡単ではありません。

だって学校へ行くのが当たり前だと思って通ってる子が大半だから。
悪気のない一言に傷つくこともある。それでまた行けなくなる。

みんな同じでみんないい学校のままでは、いつまでも変わることはないでしょう。
子供は学校へ行けないことにずっと罪悪感を抱いてます。

でも私自身も不安。
親の不安が子供に伝わることもわかってるけど、いくら大丈夫だと思ってもどうしても不安がよぎってしまいます。

手探りで毎日過ごしているんです。
ただ、先生にはっきり気持ちを伝えたことで、少しスッキリしたというか吹っ切れた部分もあります。

これはKもそうだろうと思います。
先生に伝えるにあたって、子供とよく話しました。

「学校は行けなくても、行かなくてもいい。家で学んでいこう」って。
学校で学ぶことだけではなくて、色んなことを。

学校へ行くことが目的になってしまっていて、学校へ行くことだけで疲れていて何もできなかったから。

どうしても勉強が遅れていくことに焦りがあったというか、教科書の勉強をしなくていいのかな、大丈夫かなと思ってしまう自分がいて。

どこかで置いてけぼりになっている疎外感を感じていました。
そこも少し吹っ切れました。やっとです。

すごく大変ではあるけど、家で少しずつ学びたいことを学ばせようと思います。
メニューは子供と話し合って色々決めました。

学校へ行けなくても、行かなくても大丈夫だってお互いに思える日はまだ来ないけど、進んでいくしかないのかなと、今は思っています。

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