子供が求めているのは学校が「楽しい」場所に変わること

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※2019年6月19日に書いたものです※

 

Kは学校が変わってから、少しずつ学校へ行っています。

こちらに来てから見違えるくらいに笑顔が増えて、表情が以前の息子に戻ってきて、それだけでも思い切って環境を変えて良かったなと思っています。

ただ、見ていて思うのは、学校の先生を信頼するには至っていないのかな、と。

一度先生に対しての信頼を失ってしまったこの心の傷を癒やすことは、そう簡単ではないんだと思います。

それだけ、子供にとって大人の言動や行動は死活問題なんだということです。

学校でも笑顔が増えたからといって、全回復ではないということは、子供を見ていてよくわかります。

「この大人は本当に信じていいのか」

そんなことを思いながら、疑いながら行っているのかもしれません。

自分で考えるということ

この学校に来てから変わったことは、Kが自分で考えて行動できるようになってきていること。

気持ちを具体的に伝えるようになってきたこと。

アドバイスや話し合いはしますが、決めるのは子供自身、というのを少しずつしています。

Kは自分で決めたことに自信を持てないことが多くて。

AかBかという選択肢を与えても、選べないということが本当に多くて。

それはきっと、Aを選ぶとどうなるか、Bを選ぶとどうなるかという見通しが立たないからなんだと思います。

その見通しを立たせることをしなければならないのだろうけど、私もわからないときがあって。

一度深く傷ついているからこそ、私も慎重で。

だから自分で決めることは、今すごく大事なんじゃないかなと。

自分で折り合いをつけることが。

私が子供に話すことで、誘導にならないように気をつけています。

これは長期的な今の目標なのかなと思っています。あとは大人に忖度しないことかな。

学校がすべてではないけれど、子供が学校に行きたいのか、行きたくないのか、行けないのか。
わからなくなるけれど、自分が思うように子供を誘導することだけはしたくないなと思っていて。

今少しでも学校へ行っていることは、決してムダじゃないと…それで子供が安心しているのなら、私はそれを支えるまでかなって思います。

「行きなくない」から少しずつ変わってきた

学校に行っていることは、Kを見ていると辛そうではなくて。

「あーめんどくさ」って言う日もあるけど、「行きたくない」とは違う雰囲気というか。

”顔が暗くないこと”が、以前と一番違うところです。

不登校になってから、朝はまったく起きられなくなっていて。

それは引っ越してからも続いていました。
だから学校に行けたとしても、午後になることが多くて。
でもそれも変わってきた。

行きたいと思う授業があれば、早寝早起きする努力をしていて…もちろん声かけもプラスしていますが。

前は「そろそろ寝よう」と言っても怒って拒否していたのが、「あ、そうだね」に変わって。

今週は朝から行くことが数回あるから、なるべく早寝早起きしようって決めて。
でも私の中では「多分起きられないだろうし、そのときはそのときかな」くらいに思っていました。

ところが昨日は、自ら早起きしてきて。
夜もいつもよりも早く寝て。

今日もすんなりと起きてきて、大好きなプール授業に行きました。

前日から楽しみなんだなぁというのがヒシヒシと伝わってきて。

「耳栓つける練習してる」
「明日は何度?雨は降らない?」
「くもりだったら寒いかもしれない」

とか…久しぶりにプールへ入る不安よりも、もし天候が悪くて入れなかったらの不安の方が大きいようで。

楽しみにしているようすを見て、少しでも不安がないように、家で着替えの練習をしてみたりしました。

プールは楽しかった。でも…

迎えに行った帰り道、Kと話しました。

私「楽しかった?」
K「楽しかった!でも寒かった」

私「お水冷たかったんだね。もうちょっと暑かったらよかったね」
K「うん。30度くらいだったら良かったのに」

私「プールはもぐれた?」
K「いや、顔はつけたけどもぐれなかった…泳げなかった…」

私「そっか。でもできなくても大丈夫だよ。ママも泳げないし。楽しむことが大事だよ」
K「うん…」

Kは水が大好きですが、鼻や耳に水が入りそうな感覚がすごく苦手で…ふさげば、かろうじてもぐれる程度です。

今回のプールではもぐることもできなかったようで…それに相まって、自分が周りよりもできないことに劣等感を持っているようで。

泳げない子供がK以外いないらしく、余計にできなかったことが悔しくて、「自分はダメだ」と思ってしまったようで。
思い出して、涙をぬぐいながら歩いていました。

私「できなかったこと、誰かにバカにされたり、先生に言われたりした?」
K「いや、それはない」

それを聞いて、自分で折り合いをつけることが必要なんだろうなと思いました。

どんなに大丈夫と声かけしても、自分を自分で認められなければ進むことができない。
できないことに罪悪感や劣等感を持たなくてもいいのに、持ってしまう。

これは自己肯定感が著しく低いからだとも思うし、子供が自分を認めていくことが大事なんだなって、シクシク泣くKを見て思いました。

つい私も「プールいやになった?」と聞いてしまって。
でもKは「いやいや、そういうことじゃないんだ」って泣きやんで。
これも前だったら引きずっていたのに、自分で切り替えていたので、ちょっと私は安心しました。

少しずつ、成長しているんだなって。

学校はやっぱり楽しい場所であってほしい

Kは今、「楽しい」と思えることがあるからこそ、学校へ少しずつでも行っているんだろうと思います。

顔が違うんです。やっぱり表情が変わりました。
「楽しい」があることで、意欲がわいてくるというか。

学校って、どこか「大人になったときの理不尽さに耐えうる人を育てる」みたいな…根性論で成り立たせている部分が多いなと思っています。

危険な組体操とか、異常な部活動とか、変な校則とか。
たびたび問題になるのに、なかなか変わらない。

まるで学校が楽しい場所であってはならないかのように。

「楽しい」のうえで、「楽しい」から起因して、子供が学ぶ意欲を持てる。
そんな学校であってほしいのにな。

もちろん、どんなに学校を楽しいものにしても、合わない子もいる。

だから「通う・通わない」とか、「書く・書かない」とか、「集団・小集団・個人」とか…どちらかではなくて、選択肢があったらいいのに。
子供にとって苦しくない、楽しい場所になってほしい。

学校に通うことだけじゃなくて、勉強する場所を選んだりできる…そんなふうに少しずつでも変わっていったらいいのにな。

どんなに親が「学校がすべてではない」と言っても、子供にとっては学校が子供時代の人生の多くを占めていて、
不登校の多くの子供が、学校へ行けていないことに罪悪感を持っているからこそ、伝えていきたいなと思います。

楽しいことは、たくさんあるに越したことはありません。

Kは久しぶりの運動で疲れていますが、今日も笑顔です。
この笑顔がもっと増えますように。​

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