子供が意思を伝えるということ~信頼関係の構築はとても大切

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※2018年9月28日に書いたものです※

 

9月は本当にあっという間でした。
毎月あっという間だなと感じてはいますが、いつにも増してあっという間でした。

なのに何一つやりたいことができなかった。
思えば8月から私は止まっている気がします。

動かなきゃならないのに。時間がないはずなのに。

 

大きな地震が不安。でも前向きに進んでいく

地震が追い打ちをかけました。
精神的に不安定な日が続いて、余計になにもできない日々が続いて。

でも切り換えなければと思いながら、やっと動きだせています。

Kは地震があった当初は不安な様子があったけど、今は余震があるとき以外はすごく落ち着いています。

学校も曜日を決めて、週に何度か行くようにしてから本当に安定していて、落ち着いているなぁと。

学校へ行く日は念のため「今日はどうする?」と聞くようにしています。
以前のKなら行かなきゃならないという気持ちが強かったから、ムリしてでも行っていたでしょう。

でも最近は行きたくなければ「今日は行かない」とハッキリ言うようになりました。
意思表示をするようになってきたんです。

不登校になってから、「行きたくなかったら行かなくていいの?」と何度か私に聞いてきたことがあります。

私は「行きたくなかったら行かなくてもいいよ」と毎回答えています。
でも、こう答えても以前は内心「行ってほしい」と思っている自分がいました。

行かなくてもいいと思っている反面、やっぱり不安だから。

不登校になると公的な助けがまったくないという現状

現状、義務教育で不登校になると公的な手助けというものが一切ありません。

学校や周辺機関が親身になってくれる場合もありますが、多くは行けない子供に対する具体的な手立てがないんです。

だからこそ、私も不安。今も不安がないといえばウソになります。
手探りでやっていくしかないんです。

学校も同じように手探りなのかもしれないけど、どうしても学校へ戻れるようにっていう働きかけになってしまう。

学校へ行けないなら自宅で学校と同じように勉強ができるかといえば、そうではなくて。

何の問題もなく学校へ行けることが当たり前なのかもしれないけど、そうじゃない子供は潜在的にたくさんいると思います。

そこに目を向けていないと、今後も学校教育は変わらないままでしょう。
今子供は短時間登校していますが、これも結局学校への抵抗をなくすため。

何事もなく安心して学校へ通えるのが一番ですが、学校がイヤな場所、辛い場所になって行けなくなってしまってから対応しても、遅いのです。

回復してまた行けるようになるかもしれないけど、そう簡単ではないし、ものすごく時間がかかります。
時の流れは速いのに、なぜか時間が止まったように感じるときがあります。

それでも時間とともに回復してまた行けるようになる子もいれば、そうでない子もいて。
学校そのものが合わない子もいて。そういう子への具体的な手立てがありません。

行けない子への対応も手探りで、先生とか周りの人間関係や環境によっても左右されてしまう。
具体的に公的な手立てが確立されれば、それだけで安心できる子供も親もたくさんいるのに。

これは私もずっと反省して抱えていることですが、子育てでも学校教育でも必要なのは、大事なのは、いかに子供と対等に向き合うか、なんだと思います。

どうしてあの時ムリに行かせてしまったんだろうって今も考えるときがあります。

ふとした時にあの時こうしていればって。ムリに行かせている時点で対等な関係じゃなかったんだなって。

不登校になった子への具体的な手立てと同じくらい、潜在的に学校が辛いと思っている子供に気づいてアプローチすることが大事なんです。

あとは行けなくなっても大丈夫だという保証のようなもの。
子供は大人のことを、大人が思っている以上に見ている。子供を軽く見てはいけない。

周りの大人の言動や行動は、子供にとってはものすごく大きい部分を占めています。

子供が大人に本音を話したり心を開いてくれるは、大人の対応が重要だなと子育てしていてすごく感じます。
対等でなければ言いたいことも言えません。

そういう萎縮させる環境にしてしまっているのが、今の多くの社会や学校や大人なんじゃないかなと思います。

「今の若い子は自分の意見を言えない」って年配の方などがよく言いますが。
今の子供は、大人の都合のいいようにコントロールされてしまっているのではないでしょうか。

気づかないところで子供に忖度させて、意思や選択権を持たせないようにしているんじゃないかと。私もずっとそうだったんだと。

本当にやっとかもしれないけど、本心で「行けなくても大丈夫、行かなくてもいい」って息子に言えるようになりました。

手探りだけど、きっと大丈夫と今は少しずつ思っています。
Kはきっと、私が本心で言っているかどうか見抜いています。

だからこそ、本音の意思表示をするようになってきたんだと思います。
決めてあげることはできても、変わってあげることができない。

変わってあげられないからこそ「自分で決める」

昨日、運動会がありました。
でも毎週行ってる放課後デイとかぶってて。

どうする?って聞いたら「デイサービスに行く」って。自分で決めました。

支援級の運動会とはいえ、出ないなんて前代未聞だったんだろうけど…これでよかったんだと思っています。

前だったら出ない罪悪感みたいのを感じていたけど、今回はまったく感じませんでした。
私はむしろすごくスッキリした気持ちです。

私自身のなかで、何か吹っ切れたのかもしれません。
少しずつ、子供とゆっくりゆるーく進んでいけたらいいなと思います。

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